私を動かすのは利益or恐怖でなく、問いだった

f:id:mnoppo:20191104221646j:plain

 

長らく、やらなきゃいけないこととは裏腹に、しなくていいことをせっせとし続けていた。

そこには心身のラクさと並行して罪悪感があり、

この時間の積み重ねに意味はないことをわかっていた。

 

いろんなことを試して、3~4年前に頭ではわかっていても体得できなかったことが痛感できてきた。

 

 

どうやら人は(私は?)、目標無しに主体的に生きられない
 
そして
 
(良質な)問いなしに能動的に過ごせない
 
のである。
 
 
つまり、もちろん
 
 
目標があると主体的に生きることができるし、
 
問いがあると能動的に過ごすことができる
 
 
アタマではわかっていたのだ。
 
 
それでも、本当に試行錯誤し続け、今でも波はある。
 
ただ、行動がはまらず、萎えてしまいそうになっても、次のアクションはわりかし早くなってきた。
 
 
問いを立て、行動のイメージをして、晴れやかに真剣に楽しく実践する!
問いに対して一瞬でも考える時間があれば、写真のように自分の目の前を上空から眺めることができる。
 
 
例えば、職場で、急ぎで重要なやらなかん仕事がなく、今からの時間どう過ごすといいのか、やる気が起こらない時、
 
同、家でも予定はあるけどちょっと先で、ようつべダラ見も出来てしまうとき、
 
 
マクロからミクロな問いを立てる
 
① それしててかっこいい?(どうありたい b) マクロ
②どこに向かいたいの?(目標何 d) マクロ
③ 人生において今日は何をなし得ている?(逆算) メゾ
④ 何のためにそこにいる?(何しにきたの) メゾ
⑤ 今日の夜やりきったと思ってぐっすり眠れる?(胸張れる) ミクロ
 
これら、基本的で良質な問いを巡らせる。
 
 
今日はどうだったかな?
 

コメント

タイトルとURLをコピーしました